今回は、学生時代から起業を志し、現在も夢を追い続けている梶井雄介さん。レセオという会社の立ち上げの経緯を追いました。
まず、梶井さんが社長業をやろうと思われたきっかけを教えてください
とりあえずやり方なんてわかんないし金もないから
発明して特許をとろう!と思ってですね。
主婦の方とか成功されてるじゃないですか。
でも、毎日考えても何も思いつかず(笑)
そんな時に、個人でエステティシャンをしているうちのおかんが
いい化粧品を作って販売したいと、ぼそっと言ってるのを聞きまして
じゃあそれやろうや!と言って有限会社をつくり、化粧品を売り始めたのが最初の会社です。
それからは、製造はおかん、販売は僕で、学校帰りにいろんなところに売り歩きました。
美容室から、薬局から何から当たりつくし、ヘレンさんが使ったら話題になるやろうと
西川きよしさんの家に行ったり(いきなりだったのでさすがに帰されましたが。笑)
売り歩いたもののあまり成果はでず、本など手にとって考えているうちに
「ビジネスは人脈だ」みたいなことを読んだので、これだ!と思って
異業種交流会とかに出席するようになりました。
出席者全員と名刺交換して、話していたのですが
でも、19歳という当時の年齢もあって結局誰にも相手にはしてもらえず
想っていたような人脈は得られませんでした。
そうやって化粧品会社を軌道に載せる為、いろいろ動いていると
おとんの知り合いから丹波の黒豆を作って、露店で販売している話を聞きまして。
健康志向が強くて、黒豆を買っていくおじいちゃんおばあちゃんに
黒豆の販売をきっかけに化粧品も勧めてみては?と言われて
それからお年寄りの来そうなお祭りを探して、神社やお寺に相談に行って
露店を出店して、黒豆を売りながら化粧品のサンプルを勧めることをはじめるようになりました。
露店は時々大当たりするようなこともあり
兵庫県三木市の金物祭りというお祭りでは
60万円以上売上があがり、粗利が40万円近く出たこともありました。
でも、やっぱりここでもよそ者だったりすることがあまりいい影響を与えなくて
一時間に一人くらいしか通らないような場所を与えられたこともあって
自分の想っていることとやっていることできることのギャップを目の当たりにして、やるせない気持ちになり
「ああ、俺なにやってんねやろ」という気持ちになりました。
そんな軽い挫折もあり、またいろんな店に化粧品を売り歩く生活に戻って行きました。
それからしばらくしておとんも退職して、一緒に会社をやることが決まりまして。
あと父の知り合いのウェブ制作会社の社長と一緒に
美容室のポータルサイトをやることも決まったんよね。
無料で、美容室のページを制作してポータルサイトに載せる代わりに
うちの化粧品を置いてもらう、使ってもらうという試みだったんですが
これが調子がよかったんです。
3か月で200件ほど契約が取れまして。今までは考えられないことだったんですが。
僕からの連絡で、社長も作業して各美容室さんのページもできて行って
美容室においてもらうためのシャンプー等々の発注も全部済んで
あとはサイトがオープンするだけって状態になって。
でも、まさにオープン直前にその社長さんと連絡がつかなくなって、家族で行ってみたら事務所にも誰もいなくなってて…
結局サイトはペンディング。200件分の在庫を抱えることになりました。
その時おとんももう退職しているので収入もない、蓄えもそんなにあるわけじゃなかったので
自宅のマンションは貸すことにし、月6万円のアパートに家族で引越しました。
ちょうど妹の受験時期だったこともあってそのときの家族の状態は本当に最悪で。
常にけんかでした。
僕もなんとかしなきゃいけない思いも強かったので、ストレスで髪の毛が束でごそっと抜けたりもしました。
家族ともいろいろと話し合った結果、在庫をとにかくはけるために
もう美容室への納品を考えず、BtoCで、直接販売しよう!という話になって
ネットショップをオープンすることにしました。
Yahoo!メールの送受信も当時できなかったですが
Yahoo!ショッピングに出店し、ソフトがあることもしらないので
一冊のサイト制作の本を買って、HTMLを手打ちでサイトを作成しオープンしました。
とにかく必死で作って、この間約2週間くらいです。
あと、この時からほぼ寝ずにサイトを管理していたので
コンタクトレンズの調子が悪くて、なんと4回も角膜炎になりました(笑)
今は眼鏡も併用したりして、平気なんですが。
で、立ち上げたネットショップは僕が基本的に一人で管理をして
おとんは在庫の管理や全体のオペレーション、おかんはお客さんに手紙を書いたり
おまけを考えて包装などしたりとやっていました。
で、結果かなり順調な売り上げを記録できました。
1か月目に100万、2か月目で200万、3か月目で300万、半年目には月の売上1,000万を記録しました。
3か月目にはさすがに地方の小さな化粧品会社がいきなり成果を出したもんで
Yahoo!から取材もきました。
当時もいろいろ聞かれていた成功の秘訣は
「僕自身がど素人だったので徹底したユーザー目線を持てたこと」
が一番大きかったように思います。
○価格は徹底的に他社のサイトを見て、原価の関係で無理なもの以外は
全部最安値に設定。
○当時多くのショップが送料5,000円から無料だったところを
3,000円から無料に変更。
○おまけやプレゼントをつける。
5,000円以上でサンプルつけたり、注文してくれた人には母が手紙を書いたり。
○デザインは素人でしたが、とにかく見やすい作りを心がけて
商品のレイアウトは何度も変えて、統計をとって研究して
一番結果が出たものを徹底して採用するようにする。
などといった感じで結果を出していきました。
このままネットショップを大きくしていく道もあったんですが、
軌道にのせて、家も取り戻して落ち着いてきたところで
結構やりきった感が出てきまして(笑)
それから、僕の就活の時期にもなってきて、ネットショップは実質運営の中心だった
親父に任せることにして、いろいろ迷ったんですが、就活を始めました。
で、就活をしていていろんな不満などを聞いていたら
今度は就活を仕事にしたくなってきて。
で、レセオが生まれました(笑)
梶井 雄介
プロフィール。
兵庫県出身。
関西学院大学卒業。
株式会社バンクラックジャパン代表取締役。
大学時代から数多くの会社を起業・経営。
家族の勧めもあり、一度就職するも気持ちを抑えきれず、退職。
また起業の道に進む。
現在、バンクラックジャパンでは創業した7月から
関西の中小企業のサイトの構築・SEO(※)対策
各種保守などウェブ周り全般をしている。
また、最近では主なプロジェクトとして電鉄系商業施設のウェブ戦略の立案・サイト構築を
数多く提案・実行中であり、勢力的に動いている。
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